おもに18日観音様の法話を掲載しています。
オリンピックについての一考察(令和3年4月18日)
今日は、4月18日観音様の日であります。
コロナウイルスの変異種が蔓延する中、夏季オリンピックも100日を切りました。正確にいうと、96日と数時間ですが・・・・?
オリンピックが最初に開催されたのは1896年のアテネ大会、いままでで大会が中止になったのは、戦時中の時で、夏季、冬期をあわせて5回中止になっています。
ピエール・ド・クーベルタン男爵というフランスの教育者の方が、古代オリンピックに感銘し、復興させようとして、近代オリンピックの基礎を築きました。
「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍など、さまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に、貢献すること」その精神は、見るものに、勇気と力を与えるものとなっています。
今回の東京オリンピックは、東日本大震災の復興五輪として位置づけられています。
被災した選手が、限られた場所や生活の中で、周りみんなの応援や支援によって、五輪の代表選手となる。
また、高校球児なら甲子園の出場権を手に入れる。
パラリンピックでは、障害を持つ方々が、最も自分自身にあうスポーツに挑戦し、過酷な練習と努力によって、同じような、障害を持つ人たちに、希望と勇気を与えてくれます。
状況が悪化すれば無観客での開催、オリンピック開催は無理、いろいろな意見があるとは思いますが、わたし個人としては、コロナウイルスに感染するのがイヤだ、出場したくないという選手以外の方は、東京オリンピックに、選手を出場させてあげたいと思うのです。
仏の法に、人情を捨てるという言葉があります。人情を捨てるというのは、仏の法を、教えの通りに行ずることを指します。
自分の心でよいと思い、また世間の人がよいと思うことが、必ずよいのではないと。善悪を分別して、「これがいいのだ、あれがわるいんだ」と考えることをやめる。
自分の身がよくなるようにとか、自分の気持ちがどうであるとかを考えるのを忘れて、よくてもわるくても、仏祖の言われたこと、行われたあとにしたがってゆきなさいと。
道元禅師様は次のように言っておられます。「世間の人は、たいてい、自分一人が悟ろうとする小乗根性である。善悪是非を分別して、良い方を取り、悪い方を捨てるというのは、やはり小乗の根性である。」と。
ここでいう小乗とは、富士山を登ることを例にしますと、富士山を登るルートはたくさんあります。今自分が登っているルートが一番最適で、最もいい方法であるという考え方です。他の登るルートより私の登るルートが優れているという考えが、小乗であると(根性は考え)。
もっと、大きな視点で、グローバルな観点で物事を見るべきであると。
仏道に、深く至っている人の行いというものは、善行につけ、悪行につけ、それぞれの考えがあってやっている。ほかの人が推しはかることのできないものであると。
時は戦国の時代、ある日、一人の老僧が、庭先で草を食べている鹿を、人に命じて打ちたたいて追い払わせました。
そこにいた人は言います。「和尚様は、いたわるお心がないのですか。なぜ庭先の草を惜しんで動物を苦しめるのですか」と訪ねました。
和尚曰く「わたしが、もしこの鹿を打たなかったら、この鹿は人を怖がらなくなり、悪人にも安心に近づいて、殺されるにちがいありません。だから打つのです」といわれた。
鹿を打つのは、見かけは慈悲がないようであるが、心の内の道理は、非常に慈悲にあふれていることがわかります。
だから、人からの批判も考えず、自分の心も捨て、ただ、仏の教えに順って行く。たとい、からだが苦しく、心がつらい思いをしても、それが仏祖や、高尚な先輩僧侶のなさった行為ならばなすべきであると。
今回の参加国は大きな国、小さな国、あわせて206カ国。
参加者が少ない国では、次回のオリンピックで出場することが、かなわないかもしれない。やっとつかんだチャンス。困難を乗り越え、オリンピックに出場する選手達。
これは、未来永劫、子供たちに大きな希望の光となることでしょう。
開催される、または開催されない、決断を迫られる大きな歴史的転換点。
新型コロナがはやく収束することを願うばかりであります。