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法話houwa

おもに18日観音様の法話を掲載しています。

大震災(令和4年01月18日)





今日は1月18日、観音様の日であります。




今から、二十七年前の1月17日、阪神、淡路大震災がありました。



当時私は、永平寺に修行に行っている最中でありまして二年目になるときでありました。

永平寺の朝は、夏は三時半、冬は四時半に起床します。私は、数ある部署の中で、知庫寮、物を管理したり、宿泊者を接待する部署に配属されておりまして、宿泊者の部屋の掃除、廊下などの掃除をしておりました。


配膳の支度などをしていたところに、グラグラとゆれ、かなり長い時間ゆれまして、その時近くの時計が5時46分を指していました。


永平寺には、新聞は毎日届きますが、それ以外の情報、テレビやラジオなどは全くありません。


ですから、たいした地震ではないと思って朝が過ぎ、昼が過ぎました。昼を過ぎるとにわかに慌ただしくなったように感じました。修行僧を指導するお役の方がピリピリしている。



次の日、災害の地域にあった者が集められ、災害の救援に出発されたと、後で聞きました。


帰ってきた同期、同僚に聞いたところ、たどり着くのに車では困難で、自転車を買って瓦礫をかき分けて帰ったと。


幸い家族は無事とのこと。本堂は、ペチャンコにつぶれ、その他の建物もひどい有様であったと言っておりました。


永平寺からも、その後私も含めて何人かはボランティアに行かせてもらいました。たくさんの人々が、瓦礫を片付け、炊き出しをし、傷ついた人々に寄り添っていた、冬の寒い日でありました。



その二年後の1997年1月、私が四年目の時に、福井の東尋坊の沖で、ナホトカ号という重油貨物船が座礁し、福井の海岸線に大量の重油を流出。

お玉やひしゃくを使いバケツに入れる作業をしましたが、辺り一面は暗黒。どれだけ重油を梳くったらきれいになるのか、わからなくなるような作業を、厳しい雪が降る中で、ボランティアの人々は懸命に作業を続けました。



その他、大きな災害があるたびに、永平寺の修行僧は、福井市内をまわり、托鉢で募金にまわりました。



このようなときに私たち僧侶は、どのようにしなければならないのか。



永平寺を開かれました道元禅師様は、弟子の懐弉に次のようにお話をしております。



あるとき、一人の貧しい人が訪ねてきて、臨済宗を開かれました栄西禅師様に言いました。


「私の家は貧乏で、数日にわたり、ご飯を炊くことも出来ません。それで、夫婦と息子とあわせて三人飢え死にしそうになっています。慈悲を以てお救いください」と。


その時、寺の中には、衣類も食べ物も、値打ちのあるものは、何にもなかった。ところが、薬師如来像の光背を作るための打ちのべた銅が少しあった。


その銅を打ち丸めて、貧しい人に与え「これをもって、食物と交換して飢えをしのぎなさい」と言われ、その人は喜んで帰って行ったと。




それを見ていた弟子達はこれを非難して「あの銅は他ならぬ佛像の光背でございます。それを俗人に与えられたのは、佛のために使うものを私的流用の罪となると思いますがいかがでしょうか?」と訪ねました。



栄西禅師は答えました。「まことにその通りである。けれども佛様のお心を考えてみると、佛様は身も肉も手足をさいても、衆生を施しなされるであろう。


目の前に飢え死にしそうになっている人々には、たとえ、佛像の全体を与えても、佛様の御心にかなうであろう。また、わたし自身はこの罪によって、たとえ地獄に落ちようとも、ただ生あるものの飢えを救うべきである」と。



先日の15日、南太平洋のトンガ周辺で、海底火山が噴火し、日本にも津波が観測されました。2011年、東日本大震災の津波はたくさんの命をのみ込んでいきました。



佛道に深くいたった、先輩僧侶の志の高さを、今の佛道を学ぶ私たち僧侶も、よくよく考えて行動を起こし、こういう心を忘れてはならないと思うわけであります。





(2022/01/18 心月齋 観音堂にて)




花の寺 心月齋

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