おもに18日観音様の法話を掲載しています。
地震雷火事親父(令和4年4月18日)
今日は、4月18日、観音様の日であります。
皆さんも、よく知っている言葉に、「地震、雷、火事、親父」という言葉があります。
世の中で特に怖いとされているものを順に並べて、表現したことばであります。
これを二つに分けますと、前の二つ、地震、雷は自然現象の災害、後の二つ、火事、親父は人為的な原因のよっての災害に分類できます。
災害とは、英語では「disaster」といいますが、自然現象または人為的な原因によって、人の命や社会生活に被害が生じる事態を指します。
そんな自然災害の一例として、2011年3月11日、東日本大震災が起こった直後、毎日のようにテレビ、ラジオで流れてた、人に対して優しいコマーシャルがありました。
皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか。
それは、次のようなCMでありました。
電車の中。
3人の男子高校生がいました。二人は座り、一人は立っており、電車内の座席はすべて埋まっている状態。
席に座っていた一人の高校生はふと遠くに目をやると、妊婦さんが、両手でお腹をかかえて自分の前を通り過ぎてゆく。その女性を、座っていた高校生が目で追いかける。
お腹が大きな女性に気がついた主婦が、スーッと席を立ちあがって、自分の座っていた席を譲ってくれました。
その時の高校生の顔は、自分は席を譲ってあげられなかった、なぜ席をゆずってあげれられなかったのかと、自責の念にかられた顔をしておりました。
二人の友達と手を振って別れた後、その高校生の子は歩道橋を登ろうとしました。
階段の先の途中には、腰を大きく曲げ、左手を腰の後ろにあて、右手に杖をもって、階段を登っていくおばあちゃん。
歩道橋を登ろうとする前に、その姿を見て、ふと足を止めて眺めてしまった高校生。
一息して、階段を登り始め、その左横を通り抜け追い越していきますが、通り過ぎて、何段か階段をのぼってから、ふと足を止めた。
そして、右足から、来た階段を引き返した。
そして、おばあちゃんの手を取り、腰を押して、階段を登るお手伝いをする。
おばあちゃんは、ありがとう、ありがとう、と何度もお辞儀をする。
これには、このようなナレーションが、ついています。
「こころ」はだれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」はだれにでも見える
これは、当時の公共広告機構、ACジャパンのCMであります。
思いやりの気持ちを持っていても、なかなか行動に移すことは難しい。しかし、その美しい気持ちは、実行してこそ、初めて意味があるということに、気づいてもらいたい。
すべての人が持っている、やさしい気持ちが、たくさんのあたたかい行為となって世の中に生まれてほしいと、このCMはそう願ってつくられました。
このCMを見てふとある人の言葉を思いだしました。
「私たちは、ただこの世の一員であるだけでなく、ただ何かをして通り過ぎるだけでなく、一人一人が素晴らしいことをするために生まれてきたと信じています。」
1997年、87才で亡くなったマザーテレサの言葉であります。
アグネス・ゴンジャというかわいらしい少女が修道女となったのは十八歳の時。彼女はやがて修道服を棄てインドの貧しい女性が着る安物のサリーをまとい、スラム街に飛び込んでいった。マザーテレサの誕生であります。
持ち物は、二枚のサリー、体を洗うバケツ、小さな小物入れだけ。
マザーテレサは、「貧しい人々の中でも、最も貧しい人々のために尽くす」、をモットーとして、世界中を駆け回りました。身長百五十センチ足らずの体のどこに、こんなエネルギーが潜んでいるのでしょうか。
大事なのは大きな事ではない。ささやかなことだという。
あなたがちょっとほほえむだけでいい。新聞を読んであげると喜ぶ目の不自由な人も、買い物をしてあげると喜ぶ、重い病気の両親もいるでしょう。小さな事でいいのです。
大きなことではなく、今すぐ、あなたの隣の人に、何かできることはありませんか、と。
今現在、ロシアとウクライナ間で激しい戦闘が行われています。人為的な原因のよっての災害で、戦争で多くの人々が亡くなり、苦しんでいます。
目的のために人の命を奪う、そんな心が蔓延する世の中になってほしくはない。
すべての人が持っている、やさしい気持ちが、たくさんのあたたかい行為となって世の中に生まれてほしいと思うのであります。
(2022/04/18 心月齋 観音堂にて)