おもに18日観音様の法話を掲載しています。
生をあきらめ死をあきらむるは仏家一大事の因縁なり(令和4年7月18日)
今日は、7月18日(月)観音様の日であります。
わたしは、いつも携帯ラジオを持ち歩いて草取りや掃除などをしているのですが、今月、お盆のお参りのハガキを、檀家さんに配って歩いている時に、緊急速報でが飛び込んできました。安倍元首相が「現在、心肺停止状態である」「どうやら銃で、撃たれたらしい」と。
いま、一体何が起こっているのか。重傷というのはときどき聞く言葉でありますが、心肺停止というのは助かるのであろうか。銃でうたれての心肺停止というのはどうなのであろうか、と思ったのであります。夕方、安倍元首相は、残念ながら帰らぬ人となってしまいました。
私の知っている方で、安倍さんと大学が同期で、そしておなじ部活に所属している方がおられまして、最初の総理大臣になられたときに、視察で一緒に同行し、いまでもいい友達として付き合ってもらっているとおっしゃっていました。
政治家は、国民の代表として選挙によって選ばれ、国民の要望や自分の信念によって有権者に有益な結果をもたらします。
あれは何年前になるのでしょうか。小泉総理が、北朝鮮から拉致被害者、5人をつれて戻ってきました。そのときの映像はとても衝撃であり、安倍元首相も内閣官房副長官として同行していました。調べてみると今から20年前にもなります。
その後内閣総理大臣となり、持病の悪化のため辞任し、再び総理大臣になられた。
曹洞宗を開かれました道元禅師様は、仏道を行ずることの中で「病気」について次のようにおっしゃっています。
仏道を行ずるための、特別な場所を準備し、着るもの、食べるものがそろった上で、仏道に入ろうと思ってはならない。しかるべき因縁で手に入れば、あるに任せて持つのがよいと。
無理をしてまで手に入れようとしてはならない。かといって、持てるものを退けてまで持つまいと思ってもいけない。
病気も同様で、どっちみち、もうだめなんであろうから、治療はしないでそのままでいいというのも、また仏道の考え方ではないと。
仏道では「命を惜しんではいけない。また、命を惜しまず粗末にしてはいけない」と教えています。
しかるべきたよりがあれば、お灸を一所(ひとところ)に施し、病状に合わせて下し薬の一種類など服用することは、仏道を行ずる、行う邪魔にもならない。しかし、仏道を行ずるのをやめてまで、病気を第一に考え、病気がなおってから修行しようと思うのは、仏道の妨げであると。
「参同契」というお経では「光陰をむなしくすごしてはならない」と書かれています。
病気を治そうと苦心している間に、病気はなおらないで、かえって様態がすすみ、苦痛がいよいよひどくなると、軽い痛みのうちに仏道を行じないで残念なことをしたと思うのである。
だから、病気によって痛みを感じたら、重くならないうちに仏道を行じておこうと思い、病気が重くなったら、死なないうちに仏道を行じておこうと思うべきである。
病気というものは、治療して治ることもあり、治療しても治らないこともある。また、治療しないで治ることもあり、治療しないで悪化することもある。ここのところをよくよく考えるべきであると。
曹洞宗の修証義というお経の最初に一文に、「生をあきらめ、死をあきらむるは、仏家一大事の因縁なり」という一文があります。
〈生とは何か、死とは何かを明らかにすることが、仏道修行をする者が最も大事なことである〉と。
一日一日、ひと呼吸ひと呼吸、一瞬一瞬の中に、生があり、死がある。夜、眠りについて、次の朝必ず目覚めるという保証はない。この一呼吸が、最後の一呼吸になるかも知れない。だからこそ、今この時の一挙手一投足に、最善をつくさなければならないと。
ほかの宗派ではわかりませんが、禅宗、曹洞宗の僧侶は、人が亡くなった時、故人のもとに出向いてお経を読みます。これを枕経と呼んでいます。
わたしは、枕経が終われば、身内の方と少しお話をさせていただきまして、生前はどのような方であったのか?いつどこで生まれ、その方がどこで何をされてきたのか、好きだったこと得意だったこと、食べ物で何が好きで何が嫌いだったのか、などをお聞きします。
そして体調はいつから悪くなったのか、最近の身体の様子はどうであったのかをお聞きします。これらのことと名前を元に、仏名、戒名をつけさせてもらいます。
そして、葬儀が終わった後に、時系列にまとめた、故人の生前の人柄と、仏名、戒名についてお話をするわけであります。
仏名・または戒名というのは、本来は生きているうちに仏のおん弟子として頂くもの。
しかしながら、現在は、生きているうちに、仏の御名(おんな)を受けることが非常に少なくなったこと。
仏名、戒名は、子供に名前を付けるのと同じように、この人にこのような人になって欲しいと願いを込めて付け、この仏名、戒名のなかに亡くなった人の良いところが全て入っていることをお話しする。
そして人には、いいところもあり悪いところもあることをお話をするわけであります。
亡くなった人のいいところだけを見習って、次の世代に伝えていく、それをみんなに広めてゆく、故人が残してくれた良い行い、よい精神を受け継いでいく、これが私たちの努めであるのではないかとお話をするわけであります。
選挙によって選ばれ、当選された議員さんになれば、これをしてくれ、あれをしてくれ、国民の生活にかかわるものすべてに意見を汲んでくれるようにとお願いされます。
政治的判断には、多くの忖度がつきものであります。有権者の大小様々な要望に応えることは、なかなか難しい。
よかれと思ってしてしまったことが、悪いことに傾いてしまうこともある。
10年後、20年後の日本の将来を見据えたビジョンを予想し、構築していかなければならない。
多くの守秘義務があろうし、理解されない苦労もある。
だからこそ安倍元首相がしてきた、いいところだけを見習って、次の世代に伝えていく、それをみんなに広め、故人が残してくれた良い行い、よい精神を受け継いでいく。それを今の議員さんにも引き継いでもらいたいものであります。
在りし日の姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします。合掌
(2022/07/18 心月齋 観音堂にて)